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メッセージ

創世記 講解(池戸愛一)

「聖書研究」No.51、(2018.3.27)「創世記01」

旧新約聖書は、旧約聖書部分が39巻、新約聖書の部分が27巻の合計66巻から成立していることはご承知の通りである。共同訳の聖書が発行されたときから、「15」巻が「続編」と云う名称で加えられた。続編の15巻は、カトリック教会では古くから使用されていたが、プロテスタント教会では、無視されていた「古典・外典」である。聖書学的に聖書の各巻を、どの様に分類するかは、いろいろな考え方があり、それぞれの思考経路は、一概に決め付けられない所であるが、当勉強会では、さしあたり、「49回のテキスト」に述べた様に、イレナレ(エ)ウスの説に基づき、黙示録の示唆に倣って「4つの契約」を基礎として学びを進めたいと思う。
第1の契約は、アダムと結ばれた契約。創世記1章から5章まで。
第2の契約は、ノアと結ばれた契約。創世記6章から11章まで。
第3の契約は、モーゼに律法が与えられて、新しい契約の時までである。
第4の契約は、云うまでもなく主イエス・キリストにおける永遠の契約である。第1~第3の契約までが、旧約聖書における神との約束事である。
1、創世記1~5章の契約について。 天地創造、”初めに、神は天地を創造された。“ と、天地、全宇宙は、神の御意志によって目的があって創造されたのであり、全知全能の神が、「干渉されたもの」であると、創世記はその初頭に宣言している。今日の天文学では、ある惑星は、わたしたちの知る太陽の位置に、その惑星を置くと、その表面は、木星の軌道にまで達すると云われるほど途轍(トテツ)もなく巨大なものである。その様に巨大な惑星がこの宇宙には、何十と存在すると解って来た。きょうこの頃の科学の進歩を知らなかったとはいえ、古(イニシエ)の哲学者の一人は、「自然は神の衣装である。」などと云っている。また、「自然は、第2の聖書である。」と云っているが、私たちが、知り得た広大な宇宙の営みや、身近な小さな自然の動向に、神の居まし給うことが理解できるのである。 ローマの手紙1章20節に、「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることが出来ます。」と記され、更に、「彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず、・・むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」文語の聖書には、この所を「それ神の見るべからざる永遠の能力(チカラ)と神性とは、造られたる物により世の創(ハジメ)より悟り得て明らかに見るべければ、彼ら云い遁(ノガ)れるる術(スベ)なし。」とある。新島 襄は、青年時代に聖書のこの項に接して跪き、知らざる神に祈った「神よ、あなたが目を持ち給うなら、わたしをみそなわし、耳を持ち給うなら、わたしの祈りをお聞きください。」と祈ったと云う話は有名である。

2、神は光を創り出された。“神は云われた。「光あれ。」 こうして、光があった。(1:3)”天地創造の初めに、暗黒の中に「ひかり」を創り出し給うた神は、今も私たちの暗い心に、光を与えられるのである。 使徒パウロは、“「闇から光が出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。”と、
Ⅱコリント4:6に、その証しを書き残している。 神は6日間で、ひと通り、天地宇宙を創造し給うた。最初に、無生物を造り、次に生き物をお造りになり、最後に人をお造りになったと、創造の過程を示しておられるのである。
マルコの福音書には、また、イエスは云われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」とある。
神がお造りになった最後であり、特に念入りにお造りになったのは、人間である。「神は御自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された。」とある。人は神に似せて造られた霊なる創造物であり、霊の世界を理解しうる唯一の被造物として存在を許されている。「人は、たとえ全世界を手にいれても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」とキリストが教えられたと、マタイの福音書の16:26に記されている。チャーニングと云う学者は、「一個の人間たることは、帝王たるよりも、大統領たるよりも尊い。」と云っている。
天地創造の6日にわたる作業のその日毎に、神は、その出来栄えを「良し」と確認されたと聖書は記録している。6日の作業の完成した時は、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第6の日である。」と業務の凡てを「はなはだ良し」と確認しておられる。コヘレト(伝道の書)の言葉9章10節に「何によらず手を付けたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならない。」文語訳聖書では、「凡て汝の手に堪(タ)ふることは、力を尽くしてこれを為せ。」とある。この社会において、遣り甲斐のない仕事などある筈は無いのである。自らに課せられた仕事、奉仕に集中できることが、本当の意味での礼拝であると聖書は宣言している。

3、神は天地創造の主であり、無から有を生じ、命の無いところに、命をお造りになった方である。従って、同じ力をもって御手を延べられると、我々の内に、新しい心を造り、この時代の世界に、必要であれば、「新しい天と新しい地」を創造される方である。ダビデは「ああ神よ、わがために清き心をつくり、わが内になおき霊を新たに起こし給え。(詩編51:10)」「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。(詩編51:13)」と祈っている。(この所の節数の違いに注目) 黙示録21章3・4節には、「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神の許を離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聴いた。見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」と、神による新天地、新しい社会の構築が示唆されている。
イ、エデンの園。 労働は神聖である。神の6日間と云う、尊い労働によって天地宇宙と、その中にある凡ての被造物が完成(終了形でなく、進行形である)したのであった。創世記第2章のテーマは、新設されたエデンの園にアダムを管理者としておき、凡ての被造物を守らせられた。と記している。「エデンとは何か」という疑問は、ごく一般的なものであろう。「その人は流れのほとりに植えられた木、ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」と詩編の記者は、理想郷を目の当たりに描いている。神さまの備えられた理想郷エデンは、働くことも労することもなく、備えられた被造物を面白、可笑しく利用して楽しむことの出来る楽園であろうか。「アダムをエデンの園におき、これを治め、これを守らせた」と、当初から、神はアダムに課せられた業務であった。中国の故事に「小人閑居して不善をなす。」とある。ユダヤのことわざにも「子に職業を教えざるはこれに盗みを教しうるなり。」とある。 神が備えられたエデンの園は、労せずつぐまざる楽園でなく、労働を是とし、汗を流すことを喜びとする楽園であった。園にある凡ての木の実は、こころのままに食することが出来たが、ただ、善悪を知る樹の果実は、食べてはならないと云うのが、神の戒めであった。「自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手立てとせず、神の僕として行動しなさい。(Ⅰペトロ2:16)」とあるように、人類最初の父祖たちは行動するべきであった。

4、エデンからの追放。 象徴的な表現ではあるが、凡ての人類の父祖は「アダムとエバ」である。この神によって創り出された男女は、神が備えられた「エデン」と云う楽園で、与えられた仕事を楽しみ、悠々の生活を楽しんでいた所へ、訪ねて来たのは蛇に姿をかりたサタンであった。“だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるが良い。あなたがたを襲った試練で人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。“と、
Ⅰコリント10章12・13節にあるように、誘惑されたり、悪事に興味を持つことは「人の常」である。良からぬ事に興味を持ったり、誘われたりすることが悪ではなく、罪ではなくて、それに陥ることが悪であり、罪である。
エバ(又はイブ)は、蛇と話し相手になっている間に、何時しか誘惑につり込まれてしまったのである。マタイ4章10節に、”すると、イエスは云われた。「退け、サタン。あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。と書いてある。そこで、悪魔は離れさった。“ 主の兄弟ヤコブも「汝ら、神に従え、悪魔に立ち向かえ、さらば彼、なんじらを逃げ去らん。」と教えている。
アダムとエバは「善悪を知る果樹」を食べて堕落した。 「知恵を欲する」とは、人の基本的な興味である。 人の世の歴史は、この種の誘惑に弱いことを物語っている。故に、使徒パウロは「知識は人を高ぶらせるが、愛は(徳を)造り上げる。自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。」(Ⅰコリント8章1・2節)と教え、3章18節には「自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。」と戒めている。ウェリントンの言葉に、「神を敬うことを教えない教育は、知恵のある悪魔をつくる道である。」と云っている。エバは自分で禁じられた木の実を食べるに止まらず、夫であるアダムにも与えて食べさせた。Ⅰコリント15章33節に「悪いつきあいは、『良い習慣を台無しにする。』のです。正気になって身を正しなさい。」と教えた。

5、罪は人を誘う。 エバは、禁じられた果樹を口にした時、夫であるアダムにも食べさせたと記されている。その理由は、それが今までに味わったことがない美味であったからではなかった。人は罪を犯すと、他人を特に親しい者を誘うのである。先に引用したように「悪しき交わりは、良き習わしを害するなり。」である。わたしたちは、悪い交わりを戒めねばならない。特に、夫婦、親子、兄弟の親しい関係に於いては、猶更(ナオサラ)である。「人の仇は、その家の者なるべし。」との言い草はその事実を教えるのであろう。
A、アダムとエバは、神の声を避けた。 人は過ちを犯すと,良心に責めを覚えて、神の御顔を避けようとする。聖書には、神の呼びかけに応えず、御顔を避けて木陰に身を隠したとある。「神に逆らう者に平和はないと、主は云われる。」とイザヤは、その書に書き記した。
B、罪は、他人のせいにする。 アダムは罪を指摘されると、「あなたがわたしと共にいるようにして下さった女が、木から取って与えたので、食べました」言い訳をしている。エバは、「蛇が騙したので、食べてしまいました。」と答えている。
C、失楽園の最大の理由。 アダムとエバが、禁断の木の実を食べた報いとしてエデンを追われたのであるが、その最大の事由は、犯した罪を他人のせいにしたことであった。マタイの記録したイエスの説話に「婚宴のたとえ」がある。礼服を着用しないで列席していた客が、追い出された記事である。当時、婚礼式には、式場で着用する礼服は、入り口に用意されていて、列席者は、その礼服を受け取って着用し着席する決まりがあったと云う。その規則を故意に破った男は宴席から追放されたのであった。「この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」とある。故意の罪を他人事のように思い、他人に罪を転嫁しようと考える事こそが、失楽園の最大の罪悪である。


「聖書研究会」№52(2018.4.3)創世記(2)

1、エデンの園を追われた「アダム一家」 アダムとエバは、楽園を追われ、仕事の大変さや、労働の辛さ、を知ることになった。地は茨とあざみを生えさせ、額に汗をする労働を知ることになったと、記されている。”土は茨とあざみを生えでさせる。野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る。“ 神は楽園での仕事では、知ることのなかった労働の苦痛を味わうようになったのである。たが、神は、二人での生活を楽しむことは許された。“さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と云った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。”と続いている。彼らの一見、幸せそうな日々は継続した。しかし、悔い改めと、反省の伴わない生活は、とんでもない破壊を生み出す事になったのである。
A、カインとアベル。 カインは土を耕す者になり、弟アベルは羊を飼う者になった。二人の兄弟は、職種は違っていたが、父親の感化によって、”時を経て、カインは土の実りを主の許に献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。“ 主はカインに云われた「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」と云われた。それぞれの働きの実を主に捧げたのに、神はアベルの捧げものに目を留められて、カインの捧げものは無視されたのである。なぜ、同じ捧げものを差別されたのかと云う疑問を抱くのであるが、ここには、大きな違いがあった。カインは地の産物をさり気なく無造作に整えたが、アベルは、群れの肥えた初子をわざわざ選んだのであった。
最初の殺人事件。 神はカインに尋ねて、「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」この問答は大変に有名であり、人の心に住む罪のしつっこさを表わしている。
カインは、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。カインの妻は、エノクを産んだ。カインは、その子のために町を作り、エノクと名付けた。エノクにはイラドが生まれ、イラドには、メフヤエルが生まれ、メフヤエルには、メトシャエルが生まれ、メトシャエルにはレメクガ生まれた。レメクは二人の妻を娶りとある。カインの子孫のうち、「ヤバルは、天幕に住んで、家畜を飼う者になり、家畜を飼う者の先祖」となり、弟のユバルは、「竪琴や笛を奏でる者の先祖になり、」腹違いの弟トバル・カインは、「鍛冶屋になった。」と記されているように、彼らの間には物質文明の進歩があったように記録されている。しかしながら、彼らの生活には、神に対する敬虔の思いがなかった。レメクは、二人の妻を持ち、人類、第二の殺人事件「わたしは傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す(4:23)」を引き起こしてしまったのである。

2、エデン追放から、「神に帰る」時が来た。 
カインの子たちが、罪から罪へと落ちていく間に、アダムの妻は、「セト」と云う男子を授かった。セトにも男の子が生まれて「エノシュ」と名付けられた。聖書には、エデンを追放されて後、「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」と記されている。「セト」の子孫は、神を敬う生活を取り戻したのであった。
 預言者エリヤが、当時のユダヤ人たちが、不信仰と罪悪とに陥り、手の付けようのない有様を嘆いた折、神は「しかし、わたしはイスラエルに7000人を残す。これは皆、バアルにひざまかず、これに口づけしなかった者であると云われた。 物質的進歩を、人の世の至上のものと考える傾向は、エデンの時代から少しも変化しない人間の性(サガ)であろうか、性(サガ)は性(サガ)なりに、前向きな方法・方針に用いなくてはならないのである。暗黒に光明と云える御言葉に胸を撫で下ろす様な気分になる「人々エホバの名を呼ぶことを始めたり。」と文語訳聖書は語っている。創世記第5章に至り、「神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。」と記録した。次いで、アダムは130歳になった時、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けたと記し、セトが生まれた後、800年生きて、息子や娘をもうけた。 アダムは930歳で死んだとある。セトは912歳、エノシュは905歳、ケナンは、910歳、マハラルエル、イエレドは962歳、エノクは、生き乍ら天に帰った。メトシェラは一番長寿で969年に達したとある。レメクは777歳で死んだ、ノア(慰めの意)、そして、「セム」「ハム」「ヤフェト」が続き、第6章に移行する。
荒廃した地上。 第6章には、意味不明な記述が始められる。“さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。”とあり、これは神の御心に添わなかったので、人の齢(ヨワイ)は、120年になったと云うのである。 

3、長寿の終わり。 ノアまでの人類は、800年900年の長寿が与えられていたようだが、何か不都合があったのであろうか。次に、「神の子たち」と云う、得体の知れない存在である。4章4節にも”地上にはネフィリムがいた。“と「なぞ」の人々の生存が記されている。「神は人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。わたしはこれらを造ったことを後悔する」とあり、「しかし、ノアは主の好意を得た。」と結ばれている。
イ、ノアの箱舟造りと洪水。 ノアは山中に巨大な船を造り始めた。長さ、300アンマ(135M)。幅、50あんま(22m)。高さ、30アンマ(13M)の3階建ての箱舟であった。完成し、神の選ばれた動物が収納されると、雨が降り始めた。40日40夜、降り続いた雨は、大洪水を引き起こし、地の上は完全に水没し、凡ての生き物は死んでしまった。 7か月後に、船はアララト山に漂着したが、第10の月には、周囲の山々の姿が見え始め、おおよそ、1か年を経て、外へ出ることが出来たと記されている。
ノアは、何を差置いても、家族や、多くの動物たちを救って下さった神に、感謝の意味を込めて「主のために祭壇を築いた。」とある。  
ロ、祝福と契約。 ”神はノアと彼の息子たちを祝福して云われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地に這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。“と約束されたのであった。これが、ノアと交わされた神の第2の契約である。そして、4節以下には、契約に対する律法が記されている。
神は一度、罪悪に穢れた世界は「大洪水」をもって、大掃除をされたが、それにも、拘わらず「罪悪」は依然として、その後も残ってしまった。ある伝道者は「シャツを洗っても、心を洗わねば、清い人になることは出来ない。」と云っている。ゼカリヤ書13章に「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。」また、「神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(Ⅰヨハネの手紙1章7節)と明記されている。
ハ、虹。 「わたしは雲の中に「わたしの虹」を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」と、9章12節に宣言された。空に広がる7色の虹が、この時、初めて出たと云う訳でなく、「神の契約としての虹である。」虹はそれまでも、雨上がりの空を彩る自然の造形美であったに違いないが、ノアの時の虹は、特別に神は、「契約の印」とされたのであり、ノアとその家族には、1年にわたる船上生活からの解放と相俟って、感激・灌漑も一入(ヒトシオ)であったことは想像されます。ある聖書の註解書に、「わたしたちは、暗い逆境を経て後に、明るい希望を見出す場合が多い。虹は、また暗雲を背景として現れるのであって、艱難試練の半面に、神の恵みを見出すチャンスとして扱われるのである。」とあった。虹色の意味を、「A神の情け、B憐れみ、C恵み、D真実、E正義、F知恵、G能力、」と、その註解書には、表現されていた。

4、ノアの失態。 大洪水を免れたノアも、長年の悪癖に勝てなかった。「ノアは農夫となり、ブドウ畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔っ払い、天幕の中で裸になって寝ていた。」と記されている。ユダヤの古書タルムドに、『ノアが畑で働いていると、サタンが来て、「何を作っているのか」と尋ねた。「ブドウを植えている」と答えると、「わたしも仲間に入れてくれ」と云い葡萄造りを手伝った。やがて、羊と獅子と豚とサルの血を混ぜた物を持ってきて、「肥料だ」と云って、葡萄の根に注いだと云う。その葡萄から醸造したぶどう酒は、人を酔わせて、はじめは、羊のように柔和であっても、やがて、獅子のごとくたけり狂い、豚のように、汚い真似をするようになる。更には、サルの様な無分別を仕出かすようになる。』とある。酒の害は大きく、健康もこころも傷め付けるのである。神に清いものと認証されたはずのノアさえ、狂わせられてしまった。箴言20章1節に「酒は人をして嘲らせ、濃き酒は人をして騒がしむ、これに迷わさるる者は無知なり。(文語)」「酒は不遜、強い酒は騒ぎ。酔う者が知恵を得ることはない。(共同訳)」と記し、また、箴言23章には、「酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが、後になると、それは蛇のように噛み、蝮の毒のように広がる。」と戒めている。ノアがぶどう酒に酔い、天幕の中での醜態を演じたのは、洪水後の生活に、少しばかり慣れて来て、気持ちの緩みからであろう。しかしながら、決して許されることではない。事、此処に至り、ノアの醜態は、その子たちの人生をも狂わせてしまったのである。いずれにしても、人の欠点や弱点を見て、吹聴することは誤りである。況(マシテ)して、自分の父親の落ち度を言触らす事などあってはならないであろう。「往きて人の是非(ヨシアシ)を云う者は密事を洩らし、心の忠信なる者は事を隠す。」とあり、「おのれの父を嘲り、母に従うことを卑(イアシ)しとする眼は、谷のカラス、これを抜き出だし、鷲の雛(コ)これを食わん。」と教えている。セムとヤファトは、父の衣服を取り、後ろ向きに歩み寄り、父の裸を見ないようにして、衣服で覆ったとあるのは、慎み深い、思いやりのある行為として記録される事になったのである。(現実には不可能な行為である。)

5、世の権力者の品性。 ハムの子として、クシュが生まれ、クシュの子に、ニムロドが生まれた。「ニムロドは地上で最初の勇士となった。」と書かれている。彼は「世の力ある者(国王)」となったのである。彼の王国は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった。彼はその地方からアッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ、レセンを建てた。レセンはニネベとカラとの間にある、非常に大きな町であった。」とその権勢を物語っている。時代的にズレはあるが、面白い伝承がある。「彼は、青年であったアブラム(アブラハムの旧名)が、本当の神を信じて、旧来の信仰を是としなかったために、ひどい迫害を加えて、真実の神への信仰を捨てさせようとした。」と云う。ニムロドには、「恐ろしき圧政者」という悪口が残っている。彼は、武勇に勝れ、強硬な専制政治を行い、威力を誇っていたと云うが、彼にとってそれが、どれだけの満足を得たかは疑わしいのである。
一介の野人から身を起こして、摂政関白の位に上り詰めた太閤、豊臣秀吉は、「功成り、名を遂げた」人物である。彼の政治を云々すれば、良しとするところは、甚だ覚束ないが、辞世の歌は立派である。「露とおき 露と消えぬる わが身かな 難波のことは 夢のまたゆめ」とある。「ニムロド」とて、「右に同じ」と、おそらくは、それと似ているのではないかと思うのである。
イエスは、マルコの福音書に「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(10章42節)と教えておられる。

「聖書研究会」№53(4月10日)創世記(3)

「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。」と、創世記11章の初めに記録されている。この人々は、「東の方から移動してきた。」と、共同訳聖書は記録しているが、文語訳聖書も口語訳聖書も、「人々は、東に移り」「人衆(ヒトビト)東に移り」と記している。そこは「シナルの平野」「シンアルの平野」に町を築き、塔を建て、その頂上を天に届かせようとしたと云うのである。共同訳聖書から「シンアルの平野」と読むようになった。
1、バベルの塔。 「人の心には多くの計らいがある。」(箴言19章21節)シンアルの平野に街を築き始めた人々は、塔の頂を神の住み給う天の都にまで積み上げる目標を立てたのであった。向上心その物は決して「悪」ではないが、神と肩を並べようとの企て(クワダテ)は間違っている。「さあ、天にまで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と云ったとあるように、「驕り、高ぶりは悪である。」バベルの塔の基礎は、「神と等しくあろう」と云う人の傲慢を基礎としていたので、神はそれを阻止されたのである。人は、人生と云う建物の基礎を如何するかを、充分に検討する事が大切である。パウロは「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。」「ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることは出来ません。」とⅠコリント3章10節以下に述べられている。ノアの子孫たちがバベルの塔を建てようとした、虚栄や、野心や、高慢と不信仰との上に、人の一生と云う建築を試みてはならないのである。
イ、言葉の乱れ。 人々の言葉が乱れて、会話が通じなくなったと云う。ある説教者は「オーイ、レンガを持って来い」と呼び掛けると、材木が届けられ。「オーイ、穴をもっと深く」と云えば、埋めてしまうようなことが生じて、バベルの街作り工事は中断を余儀なくした。遂に工事を断念して、それぞれの国へ帰ってしまったと話している。
「バベル」とは、もともと「乱れ」と云う意味である。不信仰と罪悪とは、混乱のもとである。動機と精神が一致しなければ、お互いの間に理解を欠くことになり、あらゆる行き違いを引き起こすのである。すなわち、悪意のある所には、乱れを繰り返すのが世の習いである。しかし、愛のある処には、神にある「一致」がある。ペンテコステの日、使徒たちの言葉を聞いた異国人たちは、「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」と言語の違いを超越した神の御業に感激している。

2、アブラムの家系と仕事。  アブラムは、アダムの子「セム」の家系であり、テラの息子であった。聖書には、「テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。テラは205年の生涯を終えて、ハランで死んだ。」と一家の成り立ち動向を記録している。ウルに住んでいたテラの職業は定かではないが、伝承では、偶像を作成して販売することを生業(ナリワイ)としていた。その仕事が原因で三男のハランが幼いロトを残して死んで(殺された)しまった。 アブラムは、父親の職業に罪悪感を持っていたので、この機会を捉えて、父親を説得しカルデアのウルを離れる決心をしたのであった。テラは、一族を引き連れて故郷ウルを旅立った。途中のハランで旅をとめて、そこに住み、そこに死んだのであった。テラの死後、アブラムは、甥のロト一族を伴って、再び旅を継続してカナンに到達した。ハランには、弟ナホルの一族が残留したのであった。(アブラハムの子イサクの妻リベカは、ナホルの子べトエルの娘であった。)
アブラムの召命と移住。 アブラムがハランを旅立ったのは75歳であった。
シケムの聖所、モレの樫の木まで来たと、聖書には「主はアブラムに現れて云われた。“あなたの子孫にこの土地をあたえる。”アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。」とある。カナンに築いた第1の祭壇であった。次いで、べテルとアイの間に天幕を張り、第2の祭壇を築いた。その後、ネゲブ地方へ住まいを移したが、飢饉のためにエジプトへ移住する事になった。
「エジプトでのアブラムの失敗。 エジプトに入ろうとした時、妻サライに云った「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と云って、わたしを殺し、あなたを生かしておくにちがいない。どうか、わたしの妹だ、と云ってください。そうすれば、私はあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう。」
アブラムは、その妻サライを”妹”だと云ったために、取り返しのつかないことを引き起こしかかったのである。実際、サライはアブラムの異母妹であったが、彼女がアブラムの妻である以上、妹と名乗らせたのは偽りである。エジプト王ファラオからその事を詰(ナジ)られても、アブラムは、一言(イチゴン)の弁明も出来なかったのである。

3、アブラムとロト。 「欲深き 人のこころと 降る雪は 積もるに連れて
みちを忘するる」という古い歌がある。「富める者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」とイエスが仰せられたように簡単ではない。アブラムとロト、この二人は「はなはだ家畜と金銀とに富み」と記されているように裕福であったが、両者の富に関する関心は、歓心と、寒心ほどの差があった。
アブラムとロトの牧者たちの間に争いが生まれた。同じ区域の牧草地を利用しながら、お互いの家畜を飼っていたので、牧草地の奪い合いや、水飲み場の取り合いを演じていたのである。「アブラムはロトに云った。わたしたちは親類同士だ。私とあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのは止めよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」と提案した。ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン河流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。ロトはヨルダン河流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れたとある。「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる。」(Ⅰコリ3:3)と云って、妬みや争いは、クリスチャン生活に相応しくないと教えた。マタイも5章23節以下に、「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」と記している。
アブラムは、何処までも平和穏健を旨とした。「地は皆、汝の前にあるにあらずや。請う、我を離れよ。汝もし、左に行かば、われ右に行かん。また汝右に行かば、我左に行かん。」とは、如何にも寛大な年長者の言葉であった。ロトは、ここまでの叔父の言葉に、「肥沃な土地は、叔父さんが使ってください。わたしは、まだ若いのですから、こちら側を開拓します。と応えるべきであった。 古い歌に「逆らわぬ 風にやなぎの糸を持て かんにん袋 縫うべかりけり」とある。 アブラムの何処までも寛厚と無欲とを好いことに、ロトはあらゆる便宜を独占したのであった。「すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは,御父から出ないで、世から出ているからです。」とあるように、ロトが低地を見渡したのは「目の欲」であった。 古来、サタンは、多くの人々を「目の欲」で誘ったのである。エバの時は「女が見るとその木は如何にもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆(ソシノカ)していた。」とある。 「アイの街」を攻めたヨシュアの軍は、アカンの目の欲「分捕り物の中に一枚の美しいシンアルの上着、銀200シュケル、重さ50シュケルの金の延べ板があるのを見て、」私(ワタクシ)して、イスラエルの全軍に大迷惑を及ぼしたのであった。「右の目があなたを躓かせるなら、抉り出して捨ててしまいなさい。」と、イエスも教えておられる。かの勇士ダビデも「彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった」と、部下の妻を横取りした。人知れず犯した罪を、預言者ナタンに叱責されたのであった。

4、ロトの失敗とアブラムへの祝福。 ロトも、当初はヨルダンの窪地に天幕を張って、牧畜業に励んでいたが、何時しか、ソドムの街の近くへ、そして、遂には街の中に住いするようになってしまった。娘たちは街の若者たちと結婚した。13章13節に「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。」と記録されている。しかるにロトは、その大いなる罪人どもと、一緒に住いすることになったのである。大昔、孟子の母親は、その子の教育のために、市場から郊外に転居し、郊外から学校の隣りに居を移したと云う。ロトはべテルとアイの間からソドムの近郊に転居し、遂にはソドムの街中へと移住したのである。孟子の母親とは正反対の行為である。
むかし話しに、“猿が「酒を飲んでも酔わねば好かろう」「酔っ払っても
踊らなければよかろう。」と云って、したたか飲んで酔っ払い踊りだしてしまった、遂に猟師の罠に掛かって捕まってしまった。“とある、人の世の交友にも、留意し過ぎると云うことは決してないのである。「類は類をもって集う」との格言は本当のことである。それ故に、真面目に神に仕えようと願う者は、不断から、その身を置く境遇・環境に注意せねばならないのであって、「居は、気を移すものなり」との言い草も軽視してはならないと思う。ロトが、わざわざ好んで誘惑の多い処に、身を置くような振る舞いは心得違いも甚だしいと、云わざるを得ないのであった。
アブラムへの祝福。 ロトと別れたアブラムに、神は語り掛け「さア、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見える限りの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。さあ、この土地を縦横に歩き回るが良い。わたしはそれをあなたに与えるから。」文語の聖書は、「汝の目を上げて汝の居る処より西、東、北、南を望め、おおよそ汝が見る所の地は、我これを永く汝と汝の末に與うべし、汝、立ちて縦横にその地を行巡るべし。」とある。諺に「深山、至宝在り。宝に心なき者、此れを得る。」とあるように、無欲なアブラムが、かえって目も届かぬほどの広大な土地を与えられることになった事を云うのであろう。「まず神の国と神の義とを求めよ。さらばすべてこれらの物は汝らに加えらるべし。」との主イエスの御教えの通りとなるのである。

5、ロトの救出。 アブラムの周辺とて、平穏な日々が続いた訳でもなかった。この地方にあった幾つかの小国は、ケドルラオメルに支配されていた。
これらの小国は、13年目に反旗を翻したのであったが、一進一退の攻防戦の後、結局は、そのクーデターは成功しなかった。この戦火のとばっちりで、ソドムの町に住んでいたロト一族は、すべての財産と共に捕虜として連れ去られてしまった。それを伝え聞いたアブラムは、彼のもとで訓練を受けた部下318人で追撃し、ロトとその家族、資産のすべてを取り返したとある。当然、ソドムの王は、アブラムを出迎えて謝意を示した。サレムの王(後のエルサレム)であり、いと高き神の祭司であった「メルキゼデク」もアブラムを祝福した。「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福されます様に。敵をあなたの手に渡されたいと高き神が称えられますように。」と、 アブラムは祝福の謝礼に、すべての物の十分の一を、彼に贈ったとあり、「十一献金」の原型になった。
メルキゼデク。(王の王を意味する)メルキ(又は、メルク)も、ゼデクも「王」を意味するヘブライ語であるが、万軍の主にお仕えする祭司の祭司、「大祭司」と、理解する事が無難であろう。
ダビデ王が、当時の世界を平定し、エルサレムに都をおいた時に、この一族の子孫と見られるエルサレムの「祭司メルキゼデク」は、ダビデ王のエルサレム占領を祝福し歓迎している。


「聖書研究会」No.54(4月17日)創世記(4)

前回のクラスで、ヨルダン河流域の小国間にあった「支配者、エラムの王ケドルラメオル」対するクーデターは失敗した。 ソドムに住んでいたロトの家族も被害を受け捕虜として連れ去られてしまった。それを伝え聞いたアブラムは、ケドルラメオルの手からロトの家族を救出するために参戦し圧勝したが、この参戦は中立を守っていた「アブラム一族」も、敵対した国々から復讐されかねない立場に立たされてしまったのである。神は幻の中でアブラムに云われた「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」と励ましておられる。万軍の主が味方である以上、何者も指一本触れることは出来ないのである。詩編23篇に「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。」文語の聖書を並べて見よう。“エホバはわが牧者なり、われ乏しきことあらじ、エホバは我をみどりの野にふさせ、いこいの水際(ミギワ)に伴い給う。エホバはわが霊魂(タマシイ)を生かし、聖名のゆえをもて我をただしき路にみちびき給う。たとえわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害(ワザワイ)をおそれじ、なんじ我とともに在(イマ)せばなり。なんじの笞(シモト)、汝の杖我を慰む。なんじわが仇の前に我がために宴をもうけ、わが頭(コウベ)にあぶらを注ぎたもう、わが酒杯(サカヅキ)は溢ふるるなり、わが世にあらん限りは、かならず恩恵(メグミ)と憐憫(アワレミ)とわれに添い来たらん。 我はとこしえにエホバの宮に住まん”とある。 次いで、アブラムは、神に尋ねた「わが神よ、主よ。わたしに何を下さるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは言葉を継いだ「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えて下さいませんでしたから、家の僕が後を継ぐことになっています。」と答えている。神の約束。アブラムには嫡子がいなかったので、ダマスコのエリエゼルに後を譲ろうと考えていた。このエリエゼルと云う僕は、多分アブラムがハランからの南下の途中で雇い入れた家令であろう。後にイサクのために、ハランへ旅をして、アブラムの兄弟ナホルの子であるべトエルの娘「リベカ」を連れに行った「老僕」であろう。聖書には、家の全財産を任さている年寄りの僕と記されている。アブラムは「神が自分に与えて下さった凡ての嗣業」をこの僕に譲るつもりであった。しかし、神の約束は「汝の身より出(イ)ずる者、なんじの世継ぎとなるべし」と仰せになったのである。エリエゼルには、一族をたてるのに充分な資産があたえられた。ダマスコに戻り一族をなしたとある。いまだ子のないアブラムに、夜空を見上げさせて、星の数ほどに子孫を与えると約束されたのであるが、神の約束に至る道筋は、平坦でないことをも示されたのであった。エジプトに移住した一族の400年間にも渉る「労苦」と「エジプト人の虐げ」とを経て、一族は栄光に見(マミ)えると約束されたのであった。約束の嫡子の誕生までのアブラムの葛藤(カットウ)は、筆述に叶わない思いがあったのである。アブラムに神の託宣があったのは、彼はおよそ99歳になっていた。既に自分の体力の衰えたことを承知していた。そして妻のサライも子を宿す時期を過ぎていることも承知していたのであった。
2、信仰を義とされる。 「よく覚えておくが良い。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、400年の間、奴隷として仕え、苦しめられるであろう。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖の許に行く。ここに戻って来るのは、4代目の者たちである。」と記されている。アブラムの孫ヤコブが、後に「エジプト」に行き、宰相ヨセフの貢献を忘れた「ファラオ(ラメセス2世)」の治世に、そこで様々な艱難辛苦を舐(ナ)め、多くの経験を経て、カナンに帰ると約束されたのである。”見よ、わたしは火をもってお前を練るが銀としてではない。わたしは苦しみの炉でお前を試みる。“(イザ48:10)とある。「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかし、そこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。」とある。「艱難 汝を玉と為(ナ)す」とは、アブラムの子孫、イスラエルの人々の経験を云うのであろう。 聖書には「日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が、二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで云われた。」とあり、一人の族長であったアブラムに、民族として大成すると契約をお立てになったのである。使徒言行録に、「ヨハネは水でバプテスマをさずけたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである。」(使徒1章5節)と、主イエスが約束されたのも、アブラムのものと同じである。 さて、神の御約束に、アブラムの応答は如何(ドウ)であったか。16章に「アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに云った。『主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入って下さい。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。』アブラムは、サライの願いを聞き入れた。」とある。古い言い草ではあるが、「後継ぎがない場合は、家名は断絶する。」と云ったことは、過去には一大事と云う時代が存在したことは周知のとおりであるが、現代においては、「それが、どうした。」といった受け止め方であろう。家名を重んずる余り、妻に子がなければ「お妾さん」をおいて、子供を求めるということは、間違った習慣であり、それらを肯定する事はなくなったと思う。しかし、アブラムの時代、妻サライは自分に子を宿すのは無理と考え、自分の女奴隷を夫アブラムに薦めたのであった。その時代の考えでは、「身を殺しても家に尽くす」としたものと云うのであろう。しかし、それは、きわめて不道理で、愚かな処置であった。サライもアブラムも、この様な姑息な策をとらず、静まって神の導きを待つべきであった。
3、「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。(Ⅰペトロ5章7節)         アブラム夫婦の小細工は、とんだ失態を演ずることになってしまった。女奴隷のハガルは、自分が妊娠したことを知ると、女主人サライを疎ましく思うようになったのである。聖書は、族長アブラムの家庭の赤裸々な恥部を曝け出したのである。「妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女(ソバメ)とした。アブラムがカナン地方に住んでから、10年後(85歳)のことであった。」と記録した。アブラム夫妻の間違った選択の結果、家庭内に混乱が生まれたのであった。サライはアブラムに云った「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのは私なのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」と記している。女主人サライは、妊娠したハガルを苦しめ始めた。ハガルはついに耐えかねて家を逃げ出してしまったのであったが、主の使いは、シュル街道に沿う泉のほとりで語りかけられた。「女主人サライの許から逃げてきました。」と答えたハガルに「女主人の許に帰り、従順に仕えなさい」と諭されたのであった。ハガルは男の子を産み、イシュマエルと名付けられ、一民族の長となる約束が与えられたのであった。ハガルがイシュマエルを産んだ時、アブラムは86歳であったと聖書は記録しいている。イシュマエルは、アブラムの家の子として成長した。アブラムが99歳になったとき、神はアブラムに語りかけて、名をアブラハムと変えるように言われた。その名は、「多くの国民の父」という意味であり、彼の一族と子孫は割礼を受けるように命じられ、アブラハムの嫡子は、妻サライが生むと約束されたのであった。ここに、アブラハムと結ばれた、神の「第3の契約」であった。サライもまた、名を「サラ」と変えるように云われた。そして一年後、聖書は創世記18章に繫がり、イサクの誕生と、イシュマエルの独立の物語へと発展する。アブラハム一族の様々な葛藤も、すべて神の御手のうちに進められることを確信するのである。 また、17章には、アブラハムとその家庭についての、興味深い一つの事実を書き残している。それは、シュルの泉のほとりで、女奴隷ハガルに働きかけられた主の御使いであるが、聖書の記録では、「神の御使い・天使」と云う存在が、初めて明かされたのであった。ハガルの生い立ちや、サライの女奴隷になった経緯(イキサツ)は不明であるが、ハガルは当時の間違った家族制度の犠牲になった婦人である。「弱き者よ、汝の名は女なり。」と云う言葉は彼女に適中した事であった。しかし乍ら神は、この様な不幸な婦人を顧みて下さる「ハガルよ。」と彼女の名を呼んで相談相手になったのは、聖書にはじめて登場した「神の御使い・天使」であった。
4、嫡子の約束。 嫡子の誕生は、アブラム一族が割礼の儀式を終えた後であると約束された。「だからあなたも、わたしの契約を守りなさい、あなたも後に続く子孫も、あなたたち、およびあなたの後に続く子孫とわたしとの間で守るべき契約はこれである。」とあり、割礼と云う儀式を「しるし」とされたのである。 ヘブライ人の手紙の記者は「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気付かずに天使たちを持成しました。」とは、アブラハムの天の使いたちを接待したことを云っていると思う。ここに、3人の人がアブラハムに迎えられて、天幕に入ったとある。この3人のうち一人は神御自身であり、2人は天使であったらしい。アブラハムは接待を僕たちに任せないで夫婦で行ったと記されている。暑い真昼、天幕の入り口で涼をとっていたアブラハムに、3人の来客があった。エマーソンの言葉に、「旅人の接待は、只、ベッドと食べ物だけではない。真実と愛と尊敬と親切とが最も必要である。」とある。アブラハム夫婦の心からの持成しを受けた客たちは帰り際に「来年の今頃、必ずまた此処に来ます。あなたの妻サラに男の子が生まれている。」と約束した。 アブラハムに嫡子が与えられるとの約束は、再三繰り返されたのであったが、その実現は意外に手間取ったのである。約束の実現が手間取ったからと云って約束が反故にされたという意味ではなかった。主の託宣を「サラはひそかに笑った。自分は年をとり、主人も年老いているのに」とサラは冷笑した。「主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻って来る。サラには必ず男の子が生まれている。」と今一度繰り返して告げられたのは、約束が反故にされないことを改めて実証されたのである。「定められた時のためにもう一つの幻があるからだ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待って居れ。それは必ず来る、遅れることはない。(ハバクク2:3)」と、神の御約束を待ち望む人々にとって適切な教訓である。                                 ソドムのための執成し。 客たちはアブラハムの見送りを受けながら、ソドムの街々の滅亡を預言されたのである。アブラハムの客の一人が「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか」と、「ソドムとゴモラの罪は非常に重いと訴える叫びが実に大きい。」とアブラハムに告げたのであった。アブラハムは、ソドムの町に住む甥ロトを気遣い「ソドムの救済」を願った記録は、彼の人となりを示すものである。この街に50人の正しい人がいれば、その50人のために町全体を赦そうと云われた。10人しかいなくても、その10人のためにわたしは滅ぼさないと約束されたが、ロトの家族以外には助け出された人は居なかったのであった。折角助け出されたロトの家族については、またの機会に学ぶことにする。
5、イサクの誕生。 21章になって、やっと嫡子イサクの誕生が実現した。アブラハムが100歳になったときであったと云う。預言されていたように、その名は「イサク」と名付けられた。イサクとは「笑い」と云う意味である。妻のサラは「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」と云った。年老いて与えられた幸福に微笑(ホホエ)みを禁じ得ないという様子を見ることが出来るのである。ヘンリー・ワード・ピーチャーは、自分の使用人が笑いながら祈っているのを見て、不謹慎であると見咎めたが、僕は「神は溢れるばかりに恵みを私に与えて下さったのでうれしくて、うれしくて、笑いが止まらなくなりました。」と答えたと云う。彼は大変感銘を受け、「明るく楽しい信仰的生活の体験を提唱する」伝道者として知られるようになった。                    イサクが乳離れし、少年期を向かえた頃、再び、アブラハムの家に揉め事があった、妻サラは、イシュマエルがイサクをからかっているのを見咎め、「あの女とあの子を追い出して下さい。」とアブラハムに訴えたのである。聖書には、「アブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである」と記されている。神はアブラハムに云われた「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。・・・・・あの女の息子も一つの国民の父とする。」とイシュマエルの将来をも保証されたのである。                わたしたちも、神に聞く生活がどんなにか難しい事であるかを弁えなくてはならないのである。

「聖書研究会」№.55(4月24日)創世記(5)

アブラハムへの試練。 試練と云う言葉は、色々な折に用いられるが、その意味合いも又さまざまである。創世記22章にある、アブラハムへの試練は、100歳にもなってやっと与えられた嫡子イサクをモリヤの山で燔祭として捧げなさいというものであった。 ある聖書註解者は、アブラハムは一生のあいだに、4回大きな試練を経験したと書いている。第1の試練は、ハランに住んでいた時である「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」と命じられたのである。第2は、彼の羊飼いたちとロトの羊飼いたちとのあいだに争いがあり山地に移り住むようになった時である。第3の試練は、100歳に近くなって、嫡子が与えられる、しかも老齢になっていた妻サラの身から出ると提示された時であった。第4の試練がきょう取り上げる、「イサク」をモリヤの山で燔祭として捧げるように命じられた時であると解説している。 人の世に試練は付き物である。この世で試練をうけない人間になることはできない。マルコの福音書14章38節には「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」とイエスも教えておられる。               
A、動物の生贄。 「雉も鳴かずば撃たれまい、父は長柄の人柱」と云う物語がある。「いけにえ」と云う習慣は古い時代からあった。古代の宗教行事には欠かせない儀式の一つであり、メソポタミア地方の文明や、彼地(カノチ)の宗教行事にも「自分の子供を犠牲」として捧げる事が、最高の宗教的行為と考えられていたのであった。この様な宗教的誤謬(ゴビュウ)は、カルデヤのウルでも行われていたであろう。この「生きた人間を犠牲」に捧げると云った礼拝形式や習慣を嫌って、アブラハム一族は、ウルを旅立ったのであったが、寄留の地カナンでもこの様な悪習は存在していたのであろう。アブラハムは「人身御供」と云う様な宗教行事を非として、生まれ故郷を離れる決意をしたのであり、アブラハム一族には、忌み嫌うこととして、寄留の地では、改められたと考えられていた。しかし、アブラハムへの試練は「神は命じられた。『あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物として捧げなさい。』」と記されている。正にアブラハムにとって霹靂(ヘキレキ)の事件であった。 古代の人々には、メソポタミア地方のみならず、多くの地方に、困難や試練に遭遇すると「人身御供」と云った発想があったようである。日本においても、冒頭にあげた「長柄の人柱」と云うような事件も、万葉の時代から間々あって、洋の東西を問わず物事が思うように運ばないとき、「人の命を犠牲にする」と云う過ちを繰り返したのである。
B、アブラハムの決意。 「彼を燔祭として捧ぐべし。」とは、アブラハムへの神の御命令であった。生きた人間を「いけにえ」として、神に従う事の「あかし」とする様な思い込みは聖書にも見ることが出来る。士師記には、エフタが戦勝を祈願して、最初に自分を出迎えた者を犠牲として神に捧げると誓った。その後、戦いに勝利して、都に凱旋した時、真っ先に出迎えたのは最愛の娘であった。エフタは悩みつつ娘を燔祭として捧げたと云う記事は有名である。(士師記11章34節)しかし乍ら、神は生きた人間を殺して捧げるよりも、生きたまま捧げる事を求められるとパウロは、「こう云う訳で、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして捧げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12章1節)と云っている。 アブラハムの「心中」は記録されていないが、彼は神の御指示に服従した。おそらく彼はその事を妻サラにも告げず、ひとり己(オノレ)の胸中に秘めたままイサクを伴い3ケ日の旅を続けてモリヤの地に到着した。聖書には、イサクに燔祭の薪を背負わせて山に登りと記されている。山頂に祭壇を築きその子を縛って薪の上に寝かせて刀に手をかけた時、天の御使いは声をかけて「その子に手を下すな。何もしてはならない。」と云われた。 燔祭の捧げものは、藪に角を絡ませた雄羊がいたと記録されている。「エホバエレ」である。

2、受け継がれていた神への従順。 モリヤの山での出来事は、アブラハムの忠誠心への試みであったが、同時に嫡子イサクへの試みでもあった。ある学者たちは寧(ムシ)ろ、イサクへの試練が主体ではなかったかと問いかけている。と云うのは、この時のイサクは聖書の記事を逆算すると凡(オオヨ)そ「25歳の青年」になっていたと想像(ソウゾウ)される。アブラハムは125歳の老齢者になっていた。イサクには抵抗しようと思えば、十分な力を持っていたはずである。然(シカ)るに、彼イサクも、父アブラハムの心をよく理解し、そのされるが儘(ママ)に任せたのは、神への絶対服従の信仰は、彼に受け継がれていた証しである。「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。」(ヘブライ11章17節)また、ヤコブも「神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか。」(ヤコブ2章21節)と云っている。イエスも「はっきり云っておく。わたしのため、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者は、今この世で、迫害を受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も100倍受け、後(ノチ)の世では永遠の命をうける。」(マルコ10章29・30節)と約束してくださったのである。
アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げものとしてささげた。アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えて下さる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と云っている。文語の聖書では「エホバ備え給わん。」「エホバエレ」と記して、神に信頼する者には、いたるところ、今日も「エホバエレ」である。

3、サラの死。 23章に「サラの死と埋葬」と云うタイトルの記事が始まるサラの生涯は127年であったと記されている。アブラハムは苦楽を共にしたサラを失い、「胸を打ち、嘆き悲しんだ。」と書かれている。アブラハムは気を取り直し、墓地を手に入れるため寄留していたヘブロンの集会で、ヘトの人々に頼んだ「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」と。ヘトの人々は、「どうか、御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神の選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬って下さい。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など一人もいません。」
A、アブラハム一族の最初の所有地。 アブラハムは、「ツォハルの子エフロン」の畑と、地続きのマクベラの洞窟を譲り受けた。アブラハムと同様にサラも、寄留地ヘトの人々の間で、良い証しを立てていたと思われるのである。エフロンはアブラハムに応えて、「御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。早速、亡くなられた方を葬って下さい。」と快く承諾したのである。 アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。その畑とそこの洞穴は、こうして、アブラハムが銀400シュケルで買い取り、墓地として所有する事になったと、創世記23章19節にある。「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住いの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。」(Ⅰペトロ2章11節)と、普段からの「証し人」としての生活態度が肝心であると教えている。
B、ヘトの人々のアブラハム一族の評価。 ヘトの人々は、アブラハムに答えた。「どうか、御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。」文語の聖書には、「我が主よ、我等に聞き給え、我等の内にありて、汝は神の如き君なり」とあり、如何に尊敬と憧憬の想いをもって見られていたかを読み取ることが出来る。おおよそ、クリスチャンと自負する私たちとて、近隣の人々から、こうした目をもって見られる存在でありたいと願うものである。パウロはその弟子テモテに「あなたは、年が若いと云うことで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。」(Ⅰテモテ4章12節)と云っている。
C、アブラハムの謙虚。 「ここに於いて、アブラハム立ちて、その地の民、「ヘテ」(ヘト)の人々に対して身を屈む」と文語の聖書は記録している。アブラハムが何処までも紳士的な態度をもって、彼らに接したかを知ることが出来る記録である。パウロも「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(ローマ12章10節)と奨め、フィリピの信徒への手紙には「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人の事にも注意をはらいなさい。」とも語っている。新島 襄の逸話に「襄がチョッキ姿で仕事をしていた時、来客があった。その人は盲人であったが、「ただ今、チョッキ姿ですから少しだけお待ちください。上着を着ますから」とことわって応対したと云う。相手は盲人であるから上着を着ているかどうか分からないとは云え、先方の人格を尊敬する応対が必要であるとのことであった。

4、イサクの妻(嫁)選び。 アブラハムは、嫡子イサクの伴侶を寄留の地カナンの女たちから選ぶことを好まなかった。「わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を、来るべき世代に語り伝えさせてください。」(詩編71編18節)とは、敬虔な老人の祈りである。その様な祈りに神は「わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46章4節)と応じて居られるのである。
A、ハランへの旅。 アブラハムは、家の全財産を任せている年寄りの僕に云った。「手をわたしの腿(モモ)の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、わたしの一族のいる故郷ハランへ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」と、嫁取りの条件を二つ出して誓いを立てさせたのである。その誓いの一つは、「カナンの娘は不適当である。」「故郷の街から娘を連れて来るように。」であって、イサクを「カナン地方から連れ出してはならない」と厳命したのである。この様な大任を負った「老僕エリエゼル」は、ハランへ辿り着いた。井戸辺に休息をとって、自らに課せられた重責を全う出来るように祈った。「主人アブラハムの神、主よ。わたしがたどってきたこの旅の目的を、もしあなたが本当にかなえて下さるおつもりなら、わたしは今、御覧のように、泉の傍(カタワ)らに立っていますから、どうか、おとめが水を汲みにやって来るようになさってください。彼女に、あなたの水がめの水を少し飲ませて下さい、と頼んでみます。どうぞお飲みください、らくだにも水を汲んであげましょう、と彼女が答えましたなら、その娘こそ、主が主人の息子のためにお決めになった方であるとします。」(創世記24章42~44節)
B 、祈りの意味。 神は、敬虔な老僕エリエゼルの願い通りの「娘リベカ」を引き合わせられた。 山室軍平の言葉に、「この祈りは具体性に富んだ現実性のある祈りであり、我々の範とすべき祈りである。」と称し、「ラクダ一頭が、一度に飲む水の量は約400リッターと云われているので、エゼキエルが連れて来たラクダは10頭であった。娘一人で、4,000リッター(大きいペットボトル40本分)の水を汲む作業は並大抵のことではなかった筈である。ラクダの事を気遣う優しさと、労力を厭わない勤勉さを、主人の息子の嫁の条件と期待したエゼキエルの祈りには、注目すべきである。」と解説している。

5、イサクの結婚。 アブラハムは、妻サラの死後、ケトラと云う女性と結婚して、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだと25章に記録されている。5節に「アブラハムは、全財産をイサクに譲った。側女の子供たちには贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけた。」と、嫡子の生存権を確実にしている。アブラハムは175歳で死去してマクベラの洞窟に、イサクとイシュマエルの手によって埋葬されたと記録されている。25章20節に「イサクは、リベカと結婚したとき40歳であった。」と記されている。パウロはヘブライ人への手紙に「信仰によって、アブラハムは、自分の財産として受け継ぐことになる土地に出ていくように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは神が設計者であり建築者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。信仰によってアブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。」とイスラエルの歴史に神の偉大な関与を言い表している。」
イサクとリベカの間には、子供が長年(ナガネン)にわたって与えられなかったが、待望の子供は、エソウとヤコブの双子が与えられた。「イサクはエソウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。」とあり、リベカはヤコブを愛したと書かれている。この様な偏愛(ヘンアイ)の行われる家庭が、円満に収まるはずはない。「偏愛は愚人(グジン)を造る。」と云われる、親の子に対する偏愛は、「その子を驕児(キョウジ)たらしめる。」とか、「ひがみ根性の子が育つ」と云われている。イサクとリベカ夫婦の仕出かした失態は、拭い切れない汚点として歴史に刻まれてしまった。



聖書を読むときは

CASSATT, Mary Children on the Beach 1884 Oil on canvas, 98 x 74 cm National Gallery of Art, Washington
 聖書を読むときに

1 御言葉を通して神様に出会えるように願う

聖書を読み始める前に、少し時間をとり、語りかけてくださるよう神に求めましょう。そうすると、読み進めるうちに、何らかの考えが思い浮かぶかもしれません。神の愛について読むうちに、あなたは心動かされるかもしれません。

2 悔い改めをもって聖書を読む

聖書を読むのは、情報を得るためや、何かを証明するために読むのとは違います。御言葉に従順になると決心しましょう。自分の栄光と、他者に反論するためという、間違った理由で聖書を読むなら、かえってダメージを受けます。

3 比較的短い箇所や物語を黙想する

聖書を読むときには、ゆっくりと進む必要があります。御言葉の短い箇所にじっくり浸ってみてください。数節くらいがいいでしょう。その箇所を大恋愛中のラブレターを読むかのように、じっくり読んでください。読んだ箇所の中からいくつか特に心に響く語句があるかもしれません。それらの語句をとおして神が何かを語ろうとなさっているのか、尋ねてみましょう。

一日につき、一つの思い、あるいは一つの聖書箇所だけにする

御言葉の一節を選びましょう。それをその日の御言葉として、一日思いをめぐらせます。たとえば、詩篇4610「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」を選ぶとします。この言葉を思いに留めながら一日を過ごします。「今日は、できるかぎり、静まるようにします。自己弁護をしたり、私の願いどおりに他人に私のことを見てもらおうとしたりしません。今日一日、自分の思い通りにしようとしません。今日一日、何かを決めるときには、御声を聴くようにします。

5 この思いが自分の記憶の一部になるようにする

 御言葉を暗記することは、もっとも強力な方法の一つです。大切なのは、いくつ暗記するかではありません。御言葉の暗記も、目的に到達するための手段に過ぎません。

神の御心を求める者 vs. 神の御心を求めない者

BAZILLE, Jean-Frédéric Portrait of Auguste Renoir 1867 Oil on canvas, 122 x 107 cm Musée d'Orsay, Paris
望ましい友を見分けるための、七つの良いしるし    
 1 望ましい友は、愛をもってあなたに真実を告げる
(箴言27:6)。    
 2 望ましい友は、健全なアドバイスをする
(箴言27:9)。    
 3 望ましい友は、あなたを磨く
(箴言27:17)。    
 4 望ましい友は、あなたの知恵を成長させる
(箴言13:20)。    
 5 望ましい友は、あなたの身近にとどまる
(箴言18:24)。    
 6 望ましい友は、あなたを愛し、あなたの側に立つ
(箴言17:17)。    
 7 望ましい友は、苦難の時の助けである
(伝道者4:9~10)。    
望ましくない友を見分けるための、七つのしるし     
 1 望ましくない友は、不道徳で、ほかの人々を軽視する
(コリント第一5:11)。    
 2 望ましくない友は、気が変わりやすく安定しない
(箴言24:21~22)。    
 3 望ましくない友は、しばしば怒る
(箴言22:24~25)。    
 4 望ましくない友は、聖書的ではないアドバイスをする
(詩編1:1)。    
 5 望ましくない友は、不法な不信者である
(コリント第二6:14~15)。    
 6 望ましくない友は、愚か者である
(箴言13:20)。    
 7 望ましくない友は、神とその律法に対し不敬である
(詩編119:63)。    
   
 ストーミー・オマーティアン
『自分自身のために祈る 女性のための30の祈り』
 (CS成長センター)より

ナルニア物語 作者C・S・ルイスの言葉

REMBRANDT Harmenszoon van Rijn The Ascension of Christ 1636 Oil on canvas, 93 x 69 cm Alte Pinakothek, Munich
  「誰にせよ、キリストについてばかげたことを言うのはやめてもらいたい。ばかげたこととは、ほかでもない、世間の人びとがよく口にする次のセリフである、 『わたしはイエスを偉大な道徳的教師としてなら、よろこんで受け入れるが、自分は神だという彼の主張を受け入れるわけにはいかない』こういうことだけは 言ってはならないのだ。 
 
 単なる人間にすぎない者が、イエスが言ったようなことを言ったとしたら、そんな者は偉大な道徳的教師どころではない。彼は精神異常者か(中略)さもなければ、地獄の悪魔か、そのいずれかであろう。
 ここであなたがたは、どっちを取るか決断しなければならない。この男は神の子であったし、今もそうだ、と考えるか、さもなければ、狂人もしくはもっと悪質なもの、と考えるか。彼を悪鬼として打ち殺すか、さもなければ、彼の前にひれ伏して、これを主また神と呼ぶか。
 そのどちらを選ぶかは、あなたがたの自由である。しかし、彼を偉大な教師たる人間などと考えるナンセンスだけはやめようではないか」 
 ケンブリッジ大学教授 C・S・ルイス
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